私の頼もしい存在|20歳の娘に突きつけられた現実と、母としての1年後

2025年2月 娘と行った世界一周
サグラダ・ファミリアにて

私の頼もしい存在

私には3人の子どもがいる。
自分がどちらかというと縛られて生きてきたから、子どもたちはできるだけ自由にさせたいと思ってきた。

エスカレーター式の学校に入れたら、あとはのびのびと、自分のやりたいことをやらせる。
そんなつもりだった。


それぞれ違う、3人のかたち

3人とも別々の学校に通っているけれど、
安心感のある環境の中で自由に過ごし、
それぞれが「自分で考える力」を身につけてくれたと思っている。

みんな自立していて、本当に頼もしい。
3人3様、性格も考え方もまったく違う。
だからこそ、私自身も向き合い方を変えなければいけない、ということを最近ようやく知った。

その変化は、きっと子どもたちの方が先に察知する。
距離を取ったり、言葉を選んだり。


長男、次男、そして娘

長男は、いかにも長男らしい頑張り屋。
でもそれを表に出さないし、人に頼らない。
少し不器用で、遠回りをしてしまうタイプかもしれない。

男の子は全体的にドライだ。
次男も同じだけれど、話を聞いてくれるし、会話はできる関係だ。

そして、私の一番の味方は娘。
言語化の力も、思考の深さも、圧倒的だ。


20歳の娘に突きつけられた現実

今日は「ママはこういうことをやろうと思ってる」と娘に話した。

すると、間髪入れずに返ってきた。

「どうして、まだ何も形になってないのにHPに書くの?」
「どうなりたいの?それはいつ?」
「何か月前に落とし込めてる?」
「今、何をするべきかわかってる?」

さらに追い打ち。

「情報収集能力、下手すぎる」
「競合、調べた?」

容赦がない。
でも、全部正しい。

そして最後に、
「ちゃんと、わかってる?」と聞かれた。

真剣に聞いたつもりだった。
でも、ぱっと言葉にできなかった。


「知っている」と「できている」は違う

「そんな状態で、誰がお金払って相談すると思う?」
「集中力ある?まず5分集中して考えなよ。少しずつ伸ばせばいい」
「ハングリー精神ある?」

私は言った。
「そんな環境にいたことないのに、ハングリーになれないよ」

すると娘は言った。
「違う。自分で追い込むんだよ」

私が「裁判された時はそう思った」と言うと、
「それは外的要因」
「そうじゃなくて、自分で自分の首を絞めるくらいの追い込み方が足りない」

「・・・・・・・」


私の1年後を、私は見せられるだろうか

20歳の子が知っていること。
きっと、みんな知っていること。

私の大切な娘。
私が産んで、育てたとは思えないほどだ。

とても誇らしい。
どうして、こんなふうに育ったんだろう。

「ママの反面教師だよ」と笑う娘。
感謝しかない。ありがとう。

私の1年後、大丈夫かな。
ちゃんとできているかな。

いつか、
「ママ、頑張ったね」
そう言われるくらいには、頑張らなきゃいけない。

ママも、ちゃんとできる人間だった。
そう思ってもらいたい。

言葉じゃなく、
背中で見せられるように。