「その目的は何ですか?」という正論
「その目的は何ですか?」
親愛なる人から投げかけられたその問いは、あまりに正論で、あまりに鋭かった。
効率や結果、最短距離を求める世の中の物差しで見れば、私のしていることは、目的の見えない「無駄な遊び」に映るのかもしれない。
色々なサブスクに課金し、投資を学び、自分とは違う地平にいる人たちの言葉をむさぼるように吸収する。
それが明日、目に見える成果になる保証なんてどこにもないのに。
「それで生活できますか?」
そんな正論を投げかけられても、私にはまだ、目に見える答えなんて持っていない。
オフラインの対談で得た「確信」
そんな時、金融経済アカデミーのアーカイブで、茂木健一郎先生と松井パパ(松井道夫さん)の対談を拝聴した。
そこには、数字や理論を超えた「何か」が漂っていた。
茂木先生が仰るには、人生の付加価値が一番高いのは「概念」であり、いかに「くだらない思いつき」をたくさん持っているかをお祝いすべきなのだという。
「オラクル(神託)」は、整えられた既成の知識(ラグ)の中には存在しない。
AIには到達できない領域。それは、目的も結果も度外視した、純粋な自律性から生まれる行動だ。理論を超えた場所から、突然正解が降ってくる。無意識にノイズを拾い、それを自分の中で発火させ、独自の見識へと昇華させる。
その一見無駄に見える「遊び(ノイズ)」の隙間にこそ、セレンディピティは宿るのだ。川面を埋め尽くす花びら(花筏)のように。
打席に立つことに意味がある
私は、計算よりも先に「体の反応」で動いてしまう。
英語が完璧にできなくても、資金が潤沢でなくても、娘と、息子と、それぞれ世界一周の旅に出た。投資の波に乗り、そして今、ひとりの女性として自立しようとしている。
ホームランは夢の夢。ヒットさえ打てないし、空振りばかりの毎日。
それでも、打席に立つことに意味がある。きっと。
世界一周で肌に触れた風、投資の波に揺られる直感、家を出る決断をした時の体の震え。これらは、どんな検索エンジンでも導き出せない、私だけの「リアリティ」だ。
人生を整理しすぎると、効率的なことしか残らない。
けれど、整理して捨てられてしまうような「無駄な時間」の中にこそ、私の私たるゆえんがある。
誰に理解されずとも、私は私の「胸のざわつき」を信じて、歩き続けたい。
